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危機管理小論  2008年

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DSC_4398.jpg元厚生次官・夫人殺傷事件について(2008.11.21)


私がこの事件発生を知って最初に思い出したのは、1971年12月18日、土田国保警視庁警務部長宅に小包爆弾が届き、民子夫人が爆殺された事件です。

土田部長ご夫妻には警察庁入庁以来大変お世話になっており、その日も所用で夫人に電話をしていたのですが、そのわずか20分後、事件が起きました。
私は、報を受け現場に駆けつけましたが、その凄惨な様子と家人を狙うという卑劣きわまりない犯行手口に、激しい怒りを覚えたことは忘れられません。

夫人を失った土田警務部長は、記者会見でこう呼びかけました。
「犯人に言う。君らは卑怯だ・・・二度とこんなことは起こしてほしくない。私の妻を持って最後にせよ。君らに一片の良心があるなら」

当時のようなイデオロギー闘争のさなかで、明らかに警察が狙われていた時代とは違い、しかも公共の福祉を担当する厚生省、さらにOB、犯行声明もないという状況が、現時点での捜査を難しくしているところでもあります。
動機についても、年金制度などに対する歪んだ社会正義による公憤なのか、または何らかの私怨によるものなのか・・・。

いずれにせよ、今回の卑劣な犯行は絶対に許せないもので、警視庁、埼玉県警の健闘による早期の検挙を願ってやみません。
検挙に勝る防犯はないのです。
そして同時に、犯人に対しては、これ以上卑怯な罪を重ねず、逃げずに潔く出頭して自身の訴えを明らかにすることを強く求めます。

また、今後このような痛ましい事件が起きないため、公職、要職にある方には、自身・家族にかかる防犯対策の見直しを呼びかけます。

日本の警察官1人あたりの人口負担は、511人です。
諸外国、たとえば英国は366人、米国は353人、フランスは286人、イタリアは279人。
日本の警察官は、他のサミット各国に比べて1.5~2倍近い、重い負担にあえいでいるのです。

今回、事件を受けて厚労省幹部やOBの警護が強化されていますが、出勤に複数の警察車両をつけたり、自宅を何人もの警察官で長期に守りつづけることは、現在の日本の警察力では無理なのです。仮に模倣犯がおきたとして、他の官庁や企業でも警護が必要になったら、まったく警察官が足りません。

もちろん、警察は国民を懸命に守りますが、危機管理の基本は「自助・互助・公助」。
カメラ付きインターホンや民間の警備保障システムも、だいぶ一般に普及してきました。
宅配便が来ても、配達員に送り主を尋ねてから玄関を開けることは、今すぐからでもできます。
まずは自身で防犯対策をしっかりとる「自助」が必要です。


DSC_4313.jpg米国大統領選報道に思う(2008.4.23)


11月に控えた米国の大統領選について、日本では民主党予備選を「初の女性大統領か、初の黒人大統領か」と、まるでこのデッドヒートを制した方が大統領になるかのように報道されています。

福井県小浜市では、「名前が一緒」というだけで大騒ぎです。

しかし、なぜ共和党のマケイン候補については日本であまり紹介されないのでしょう?

たとえば今、皆さんはマケイン氏の顔が頭にすぐ浮かびますか?

マケイン氏は、アジアにおける日本の役割を重視し、日米同盟も強化すべきとの立場で、北朝鮮拉致問題についても日本を支持しています。

実は私は1990年、軍事委員会のタカ派で知られるマケイン上院議員が来日した際に、彼と激論を交わしたことがあります。

コストシェアリングや安保条約破棄をちらつかせながら日本の防衛費増額を迫るマケイン氏に、筆者は「それは内政干渉、口出しするな」と堂々と対峙したことで、氏のこの件に関する対日批判はおさまりました。

しかし1年後、お金だけ出して人的貢献をしなかった湾岸戦争の日本の対応については、烈火の如く怒りました。

これまでも日米間の問題にまっすぐ向き合ってきた親日派のマケイン氏のような人物と、中国重視で日本に無関心なヒラリー・オバマ両氏のような人物、誰が日本の国益に合致するか、わが国の米国大統領選報道もこのような視点で行ってほしいものです。

※マケイン候補の出自、政見や、筆者との討論の様子を含め、米国大統領選について思うことを、5月1日発売の文芸春秋『諸君!』掲載の「インテリジェンス・アイ」に誌しました。



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有事の報告は「ショート・サーキット」で(2008.2.20)


皆さんは「第10雄洋丸事件」を知っていますか?

1974年11月、東京湾で当時国内最大級の石油タンカー「第10雄洋丸」と貨物船が衝突・炎上しました。

海上保安庁や消防が消火活動につとめましたが、死者33人。

しかも10日以上たっても鎮火しなかったため、東京湾外に曳航したうえ、海上保安庁が防衛庁に災害派遣で第10雄洋丸の処分を要請したのです。

防衛庁(宇野宗佑防衛長官)は、護衛艦4隻と魚雷を積んだ潜水艦、対戦哨戒機14機を出動させ、まる2日にわたり烈しい砲雷爆撃を加えて、火災発生から20日後にようやく第10雄洋丸を沈没させました。

撃沈の報せは、沈没を確認した護衛艦長→護衛隊司令官→護衛隊群司令官→護衛艦隊司令官・・・と段階的に順を追って報告されていきました。

さらに地方総監、潜水群司令官、航空隊司令官などへの報告も加わり、しかも各報告は暗号化するきまりだったため、その暗号を組んだり解いたり、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながらノロノロと上にあがっていったのです。

そんなことをしているうち、宇野長官には海上保安庁長官から「ご協力ありがとうございます。ようやく沈みました」との報が入りました。

これが宇野長官への初めての撃沈の報告です。

大事な報告が、自分たちのルートではなく、海保からのルートでトップの耳に入ったのです。

また、わざわざ暗号に組んでいたであろう沈没の様子は、翌日の新聞紙上で詳細に書かれていました。

・・・30年以上前のこのできごとは、防衛庁では危機管理の失敗例、教訓として残っているはずでした。

今回のイージス艦「あたご」と漁船の衝突事故の際の、石破防衛長官、福田総理への報告の遅さをみて、そして中国製冷凍ギョウザ中毒事件の発生から厚労省把握までの経過をみて、私はこの事件を思い出し、怒りとともにみなさんに紹介した次第です。

『有事の報告は「ショート・サーキット」「拙速」で』は、危機管理の基本です。

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