今年を振り返って(2007.12.27)
12月12日、毎年恒例の「今年の漢字」が清水寺で発表されました。
全国公募の結果、圧倒的多数で「偽」という文字に決まったそうです。
思えば本年は、何度「偽」問題で企業トップなどが一列一斉に頭を下げる記者会見を見たでしょうか。
食品業界では、不二家の期限切れ材料使用による製造・販売停止、社長交代に始まり、食肉・原材料偽装、日付の改ざん、不適切表示などが老舗や有名企業などで続きました。
建築業界や子どものおもちゃなどでも偽装が相次ぎ、、消費者は不安に陥りました。
政治の世界では、「ノーブレス・オブリージ」(高い地位に伴う、高い責任)を実現できずにその職を失う人が続出しました。
「政治とカネ」問題が蔓延し、事務所費や光熱費、その他政治活動費など不透明会計が続々と発覚し、農水相は1年間で6回も大臣が替わりました。
極めつけが、健康が原因とはいえ国のトップの座を放り出してしまった安倍晋三前総理でした。
「信用を築くには長年の歳月を要するも、それを失墜するのは一瞬」
これは、1955年に起きた雪印乳業八雲事件(脱脂粉乳の集団食中毒)の際の、同社佐藤貢社長の訓辞です。
50年以上も前の訓辞を、今年は何度も思い出しました。
「コンプライアンス」の基本は、この名訓辞にあります。
2008年は、明るい年にしたいものです。
皆様、良いお年をお迎えください。
安倍総理の辞任について(2007.9.19)
先の参院選で自民党が大敗した際、私は安倍総理に「針の筵に坐って“負け残り責任”を果たせ」と、厳しいエールを送りました。
健康問題が深刻とのことですが、せっかく老・壮・青のバランスのとれた改造内閣を発足させ、国会で所信表明を終えてこれからというときに辞任発表とは、あまりにもTPOが悪すぎます。
その数日前、「職責にしがみつく気はない」と言っていましたが、総理大臣というのは重要政策に対しては、“しがみついてでも”その任を果たすべき立場で、これでは、自らの政治信念と責任を放棄して『美しい国』に帰ってしまった“星の王子様”です。
6年前の9.11同時多発テロの直後、私は安倍官房副長官に呼ばれて官邸で今後日本が取るべき対応について献策を行いましたが、その際後藤田さんから「安倍は安保問題には白紙。変な書き込み、するな」「晋三をおだてたらあかん。君らが担ぐと、彼、潰されるぞ」と言っていたことを思い出しました。
折しも安倍総理が辞任を発表した9月12日には、後藤田正晴元副総理の3回忌行事がありました。
その席で氏家斉一郎日本テレビ会長が、「後藤田先生が生きておられたら、『安倍君、若すぎたのう』とおっしゃっただろう」と発言されたのですが、私は同感すると共に何か因縁めいたものを感じたのでした。
※安倍総理の突然の辞任については、10月1日発売の文藝春秋『諸君!』に論文が掲載されます
参院選の結果を受けて(2007.8.2)
今回の自民党の大敗の原因は、年金問題ではなく安倍内閣の「コンプライアンス」の大失敗です。
赤城農水相の顔の絆創膏は、有権者にまるで本人が自民党の吹き出物のような印象を与え、柳沢厚労相、久間防衛相の失言も含めると「オウン・ゴール」のハットトリックで、これでは勝てるわけがありません。
安倍総理には彼らを任命した責任があります。また6人もの閣僚が問題を起こしたときすぐに彼らを更迭せず庇った身内びいき(ネポティズム)、加えてそのような厳しい進言をする「軍師」をまわりに持たなかった甘さがあります。
しかしながら、この結果を受けて総理自身が辞任することは、潔く見えてさにあらず、無責任というものです。
早々に内閣改造を行い、直言諫争できる屈強な軍師を周りにおき、「国民の生命・身体・財産」を守る内閣総理大臣として政権課題を全うしてもらいたいと思います。
安倍総理への今後の期待を込めて、8月2日付けの産経新聞「正論」欄に厳しい論文を書きました。
自民大敗は「危機管理」の大失敗
----「泣イテ馬謖ヲ斬ル」非情さ必要
(2007.8.2 産経新聞「正論」欄掲載論文)
『優しすぎるは闘将の弱点』
選挙は「戦さ」である。「戦さ」には「闘将」と「軍師」と屈強な郎党が必要だ。参議院選挙における自民党安倍内閣の歴史的退廃は、危機管理の専門家としていうならば、筆者が「組織防衛」と意訳して説いている危機管理の手法の一つ「コンプライアンス」の大失敗だったといわざるを得ない。
安倍晋三総理の続投を指示し、憲法改正などの「戦後レジームからの脱却」という高い志の成就を願うからこそ、あえて苦言を呈する。
参院選で大敗したといって挂冠するのは潔くみえて、さにあらず、衆院選で自民党内閣を支持した有権者の信任を裏切る「無責任」な「敵前逃亡」である。安倍総理は、針の筵に座って信念を貫くべきだ。
ニコロ・マキャベリ曰く「君主ハ愛サレザルトモ 恐レラレヨ」。この帝王学からいえば、安倍総理は育ちがよすぎ、仲間に優しすぎて、甘い。優しすぎるのは闘将の弱点となる。
第一次世界大戦の独ファルケンハイン参謀総長は同盟国イタリアを評して「弱イ味方ハ強イ敵ヨリ悪イ敵」と言った。
安倍総理の敵は年金問題ではなく、苦言を呈さなかった取り巻きたちで、総理がとるべき責任は「任命責任」である。
発足後9カ月で18人の閣僚のうち6人までが「失言」(柳沢厚労、久間防衛各相)や「政治とカネ」(佐田行革、伊吹文科、松岡・赤城農水各相)で高い政治目標を掲げる総理の足を引っ張った。
官房長官率いる官邸の補佐官たちもよくない。
政治倫理や大臣の資質が問われているときに、総理の「任命責任」を恐れたのか、マスコミのいう「コンプライアンス」(法令遵守)という解釈にミスリードされたためか、総理に「法令の範囲内で対応しているから問題ない」といわせた。赤城農水相更迭は遅きに失したが、総理の英断である。
『直言諫争行う軍師なし』
諸葛孔明は、街亭の戦いで判断ミスから魏軍に退廃したとき、股肱の臣、馬謖を軍法に照らして涙をのんで斬った。
小泉前総理は、田中真紀子外相を斬り、郵政改革反対派を除名し、刺客を放つという非情な危機管理能力を発揮した。
小沢一郎民主党代表は「野党で過半数をとれねば政界引退」とまさにバーニング・ブリッジス(背水の陣)で臨んだ。
しかるに安倍総理は女性スキャンダルの本間正明税調会長をふくめると7人の閣僚級を庇って優しすぎさを見せてしまった。
かつて民主党の期待の新星・前原誠司前民主党代表が永田寿康偽メール事件の際、同じ過ちを犯した。
筆者にも経験があるが、若い指揮官は時として部下たちの人心収攬のため部下の失敗を不必要なまでに庇い、それを帝王学と思うものだ。
そんな時「それはいけません」と「逆名利君」の直言諫争をあえて行い、「泣イテ馬謖ヲ斬リナサイ」と献策する後藤田正晴、諸葛孔明のような老巧な「軍師」が必要だ。
また、この内閣には楠田実、早坂茂三、上和田義彦、飯島勲各氏のような悪七兵衛景清、悪源太義平もどきの屈強な首席秘書官も存在しない。
「悪」とは、この場合「強い」という意味である。「悪党」と呼ばれた楠木正成や豊臣秀頼を助ける真田幸村のような武将もいない。
『早々に内閣改造の断行を』
9月といわず早々に「製造責任」をとって〝不良品回収〟の内閣改造を断行すべきだ。
内閣の補佐機能も組織法重視で権限法を是正しないから組織が細分化、複雑化して増殖し、責任と権限が分散されている。
筆者の時代は7人(2副長官5室長)で処理していた事務を15人(3副長官、5総理補佐官、危機管理、情報、広報3官、3副長官補、1連絡官)ですることとなり、当初目指した官邸機能強化の方向と逆行し、週刊誌に「少年官邸団」などと揶揄されている。
本当に必要なのは、上下直列の指揮情報系統の早期整備、すなわち総理直属の危機管理・意志決定機構国家安全保障会議(NSC)と内閣情報局(JCIA)の実現であり、内閣法改正による総理非常大権、官房長官の積極調整権の確立という、すでに着手している内閣機能強化策の推進だろう。
安倍総理は祖父岸信介の志を継ぎ、日本を真の独立主権国家にするという、戦後歴代内閣の「政治課題」を自らの「政権課題」としている。
今後ともなおざりにされてきた「国民の身体、生命、財産の保護」を最高使命として「治安、防衛、外交」を重視する内閣総理大臣として成長されることを祈ってやまない。
※注: ホームーページへの掲載にあたり、改行や1行スペースなど若干修正してあります。
愛知県の立てこもり事件について(2007.5.18)
このホームページをご覧の皆様は、今回の事件について怒りともどかしさを感じていたと思います。
犯人確保までに至る29時間の愛知県警の対応は、あまりに優柔不断です。
撃たれた警察官が5時間もその場に放置されるなど、日本警察史上前代未聞の恥。
人質の人命尊重というならば、警察官の人命は尊重されないのか。もっと早く閃光弾、高圧放水、催涙弾などで制圧していれば、木本巡査部長はもっとはやく救出され、優秀なSAT隊員林巡査部長の命が失われることもなかったはずです。
凶悪な犯人の人命尊重のために、人質解放のあと6時間も説得を続けたということについても、説得の段階はとっくに過ぎていたと言わざるを得ず、「1人を殺したら突入」という世界的常識から大きくかけ離れています。
さらに、逮捕直後の報道によると、逮捕の際の容疑が「殺人未遂」とありました。
愛知県警の「擬律判断(何の罪にするのか判断すること)」は、国民にはまったく理解しがたいことです。
おそらくこれは刑事警察の慎重な捜査手続きの表れで、木本巡査部長ら3人に対する殺人未遂で逮捕・取り調べをしておいて、勾留期限になったら林巡査部長殺人容疑に切り替えて再逮捕ということを考えているのだと思います。
しかし、林巡査部長殺人は周知の事実であり、今回の大林容疑者は最初から「殺人罪」であるべきで、このような「理由にならない理由」は警察OBの私には理解できても国民には通じないでしょうし、このような県警の妙な行動が国民の不審をかうのです。
愛知県警の「不作為」について、私は厳しく非難するとともに、あさま山荘事件を指揮した警察OBとしても大きな課題と受け止めています。
そして、危機管理の失敗例として2度と繰り返さないために、徹底的に検証してみます。
そして、犯人は当然「死刑」であるべきです。
阿部知子議員の発したメッセージについて
ここ数日、私のところに多くのメールが届きます。内容は阿部知子社民党議員が先頃、自身のホームページに掲載した以下のメッセージについてです。
「阪神大震災は12年目を迎えたが、国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国(のち〝知事〟に訂正)による命令(のち〝要請〟に訂正)を受けて救援(のち〝本格救援〟に訂正)に向ったのは、数日を経て後のことであった。」
私は、これに反論したいと思います。
自衛隊は地震発生直後から派遣準備をはじめ、自衛隊法に基づきすみやかに兵庫県に対し派遣要請を促すよう連絡をとっています。しかしながら、県からは全然返事をもらえない状態で、航空偵察や小規模の近傍出動、派遣準備にとどまるしかありませんでした。
ようやく10時に県知事から派遣要請が入り、本格的災害救助活動を開始できたのです。 海上では、地震発生後すぐに神戸港に向かって4隻の自衛艦が向かいましたが、それを受け入れる兵庫県や神戸市の対応が遅れ、翌日10時まで、これらの艦船は神戸港に入港できない有様でした。
兵庫県や神戸市は、これまで自衛隊と共同の防災訓練をしたことがなかったのです。
救助活動に関しても、彼らは今よりも大きく権限が制限されていた当時の自衛隊法の範囲で、できることを精一杯やったと、私は大きく評価しています。
震災の2日後に当時の官房副長官が自衛隊の初動の遅れを指摘した発言もありましたが、もし地震発生と同時に一斉に数万の自衛官が現場に出動していたら、それこそ当時の法の下ではシビリアンコントロールの観点から大問題になったことでしょう。
彼女のメッセージの中では、何を根拠に「数日を経て後のこと」となったのでしょうか。
一方、政府は何をしていたか。
ときの、村山富市総理に地震の第一報が入ったのは地震発生から1時間半以上たった午前7時30分頃。
村山富市総理はその後も予定通り経済報告閣僚会議や地球環境の懇話会に出席しているのです。
定例(緊急ではない)閣議のあと、この地震対応について非常災害対策本部(国土庁長官指揮、総理指揮の緊急災害対策本部ではない)の設置にとどめたのは、いま彼女が所属する社民党の前身政党・社会党内閣です。
さらに、総理が現地視察をしたのは1月19日。
帰京直後の記者会見で「(総理指揮の)緊急災害対策本部を設置する」と述べたものの、夜になって撤回し、とうとう総理が陣頭指揮をとることはありませんでした。
災害時も含め、国民の生命・身体・財産を護るのは国家の最大の任務であり、その長は言うまでもなく内閣総理大臣なのです。
犠牲者6434名をだし、約10兆円の国富を灰燼に帰した責任がどこにあるのかは、明確でしょう。
私の著書『危機管理宰相論』には、阪神大震災の際の初動措置や当時の国家危機管理システムの問題点が、当時の事実と共に書いてあります。
また、衆議院公聴会の議事録も掲載してあります。
彼女が議員になられたのは2000年とのことで、経歴も浅いことは承知しています。
しかし、現在社民党の政策審議会会長という責任ある立場でご発言をなさるのであれば、きちんと勉強してから意見を述べるべきです。
当時の事実関係を詳しく調べることなく、法律を読むことなくいたずらに批判をすることは、極めて愚かなことであります。
安倍内閣発足について(2006.9.29)
ジョン・ガルブレイス(ハーバード大名誉教授)の『不確実性の時代』という著書の一節をご紹介します。
「偉大な指導者には、皆一つの共通の特色がある。すなわちその時代の国民の主要な不安に対し、真正面から対決する気構えにほかならない。これが、そしてこれこそが指導力の本質なのだ。」
現在の日本には、ABCDあらゆる危機から国民を守る体制づくりが急がれます。
ミサイル防衛システムの早期導入、国民保護計画の整備、日本版のNBCやCIAの設立、拉致問題解決、子どもが犠牲となる事件への対策・・・「美しい国、日本」を掲げて9月26日に発足した安倍晋三内閣には、国民が安全・安心に暮らせる国づくりを大きく期待します。
北朝鮮ミサイル発射について(2006年7月6日)
今回の日本政府の初動対応は、これまでに比べて迅速で評価できます。経済制裁、万景峰号の入港拒否では、発射されたミサイルを防ぐことはできないのです。
発射準備の情報があってから、日本政府はイージス艦を日本海と太平洋にそれぞれ配備し、また米軍からも2隻のイージス艦が出ています。
しかしながら、これらの艦船には弾道ミサイルを迎撃するSMⅢは搭載されていません。
陸地から迎撃するPAC-Ⅲも、自衛隊への配備は来年になり、現時点でのノドン・テポドン迎撃の能力はまだまだです。
本年中に米軍が嘉手納に24基配備する予定ですが、今回の発射には間に合いませんでした。
「撃つなら撃ってみろ、落としてやる」の姿勢と装備を見せつけ、いざというときに実際に迎撃できなくては、北朝鮮は砲艦外交ともいえる示威行為を繰り返すでしょう。
日米安保条約に基づく米国のミサイル防衛の傘を借りてでも、国民を守るためのミサイル防衛システムを至急構築しなくてはなりません
竹島問題について(2006年4月27日)
竹島問題について、一触即発の危機が発生しました。
1905年に日本が閣議決定と島根県告示により領有意志を確認し、国際法の「先占理論」によって日本領土となりましたが、1952年に韓国が李承晩ラインを設定し、それが撤廃される1965年までの間には3929人の日本人が抑留され、拿捕船舶は218隻(うち173隻は返還されず、中には韓国の巡視艇として使用されたものもありました)、死傷者44人(拿捕の際に銃撃されて死亡した人もいます)という歴史があります
今回は外務省の次官が訪韓して、一応危機は回避されたかに見えましたが、直後に盧武鉉大統領が談話を発表するなど予断を許さない状態で、このままでは竹島近海を強行に操業しようとする漁師などが犠牲になる危険もあります。
日本は過去に2度、竹島問題を国際司法裁判所に提訴すべく韓国に提案しましたが応じられず、そのままにしていたことが大きな問題です。
国際司法裁判所は、領土、国境紛争などについての司法的解決を行うことも任務とする国連の司法機関です。ただし、裁判の当事国は双方とも、この判決に従うことをあらかじめ宣言しなくてはなりません。
いまこそ、国際司法裁判所ではっきりとお互いの主張をし、竹島の帰属について決着をつけてもらうのが妥当です。
日本は「政治の問題」として外務省任せにせず、韓国に総理級の特使を派遣して盧武鉉大統領を説得しなくてはなりません。
韓国とは北朝鮮拉致問題、核・ミサイル問題において協同していかなくてはなりません。そのためにも、両国がきちんと竹島問題を解決する必要があるのです。
鋭意執筆中!(2006年1月24日)
かねてより皆様からご要望いただいておりました「わが上司 後藤田正晴」の続編(タイトル未定)を、現在、鋭意執筆中です。
今回は、昨秋お亡くなりになった後藤田正晴さんとの「ゴット・フォン」が、私の退官後現在にいたるまで続いていたさまを、歴代総理とその時代のできごとを振り返りながら書いています。
後藤田さんとの特別権力関係史でもあり、1980年代以降の日本の危機管理史でもある1冊に仕上がりそうです。
4月下旬には書店に並ぶ予定です。
故後藤田正晴さんの御霊前に堂々とお供えできるような作品にしたいと存じます。
ご期待ください。
愛知県の立てこもり事件について(2007.5.18)
このホームページをご覧の皆様は、今回の事件について怒りともどかしさを感じていたと思います。
犯人確保までに至る29時間の愛知県警の対応は、あまりに優柔不断です。
撃たれた警察官が5時間もその場に放置されるなど、日本警察史上前代未聞の恥。
人質の人命尊重というならば、警察官の人命は尊重されないのか。もっと早く閃光弾、高圧放水、催涙弾などで制圧していれば、木本巡査部長はもっとはやく救出され、優秀なSAT隊員林巡査部長の命が失われることもなかったはずです。
凶悪な犯人の人命尊重のために、人質解放のあと6時間も説得を続けたということについても、説得の段階はとっくに過ぎていたと言わざるを得ず、「1人を殺したら突入」という世界的常識から大きくかけ離れています。
さらに、逮捕直後の報道によると、逮捕の際の容疑が「殺人未遂」とありました。
愛知県警の「擬律判断(何の罪にするのか判断すること)」は、国民にはまったく理解しがたいことです。
おそらくこれは刑事警察の慎重な捜査手続きの表れで、木本巡査部長ら3人に対する殺人未遂で逮捕・取り調べをしておいて、勾留期限になったら林巡査部長殺人容疑に切り替えて再逮捕ということを考えているのだと思います。
しかし、林巡査部長殺人は周知の事実であり、今回の大林容疑者は最初から「殺人罪」であるべきで、このような「理由にならない理由」は警察OBの私には理解できても国民には通じないでしょうし、このような県警の妙な行動が国民の不審をかうのです。
愛知県警の「不作為」について、私は厳しく非難するとともに、あさま山荘事件を指揮した警察OBとしても大きな課題と受け止めています。
そして、危機管理の失敗例として2度と繰り返さないために、徹底的に検証してみます。
そして、犯人は当然「死刑」であるべきです。
2009年
2008年
2004-2005年
それ以前 |